1/17の記憶

この記事は2012/1に掲載されたものです。
記事の内容が古くなっている為、現状と異なる可能性があります。

意識では忘れていた1月17日。例年の事だが16日〜17日には体調を崩してしまう。それは今年も同じだった。17年前の1月17日、小学生の頃だ。普段は起きても来ない早朝に大きな揺れが襲ってきた。

阪神淡路大震災と呼ばれるようになる大地震、兵庫県南部地震

幸いにも家族の中には人的被害は無かったのだが、意識がはっきりするにつれて恐怖を感じた覚えがある。

20インチ後半のブラウン管TVが両親の近くに落下し、その上に大きなタンスが倒れこむ。運良くテレビとタンスの間になり怪我も無かった両親の寝室や、兄弟同部屋にあった小さなタンスが倒れてガラスが散乱していたり、外壁の一部が床と離れて数センチの隙間があき、3階から地面を見える形になっていたり。

タンスとテレビを戻してつけたTVには横倒しになった高速道路の映像が流され、次々と死傷者の数が増えて行くのを目の当たりにした。

当時通っていた学校での被害者は一人と、神戸市灘区などの被害が大きかった地域に比べればマシという状況ではあったが、同じ学年の子が亡くなったというのも衝撃だった。特に仲が良いという訳でもなかったが、記憶に残っている。

その後、ライフラインの復旧の目処も立たず、震災後の対応で忙しい父親を残して母親の実家へと避難をしていた。

一時転校という形で避難先の小学校にお世話になりつつ数ヶ月の間の避難の後に西宮に戻ったが、ライフラインは復旧しつつもあちこちに爪痕が残る状態だった。

その後は大きな地震も無く、徐々にではあったが街並みが変わっていく様子を見ながら生活を送っていった。

そして去年あたりに完全復興の宣言が出されて一区切りがついた所である。

この経験があるからか、毎年1月17日頃には体調を崩してしまう。昨年までは「あぁ、そろそろ17日か」という意識もあるせいで体調を崩しているのかと考えていたが、今年に限っては東日本大震災の記憶が新しく失念していた。

しかし、例年のように体調を崩してしまった。記憶が薄くとも身体は覚えているということだろうか。

2007年。Twitterを知って始めたころ、ちょうど地震の研究を行う研究所に派遣で働いていた(事業仕分けで働いていた場所が本家に統合されて無くなってしまったのが少しばかり悲しい所)。

そこではまだ緊急地震速報が一般運用が本格的にされる前だったが、一台のモニタに日本地図が描かれており、そこに地震発生時に震源が表示されていた。それに感化されたと共にTwitterの速報性やAPIに可能性を見た私は@earthquake_jpの開発を始めた。

これも元々被災者という事と、その際に情報がTV・ラジオのみしか情報源がない事に不安を感じていたからであって、この経験が無ければ@earthquake_jpを作っていなかったかもしれない。

そして東日本大震災をきっかけに自宅にシステムを置いておくことに不安を感じ、外部のサーバに配置するようにした。これは東海地震が発生し、被災した場合の事を考えての事ですね。

これから先もできる限り続けていきたいと思う、今日この頃でした。

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「1/17の記憶」への2件のフィードバック

  1. earthquake_jp のリツイートから来ました。
    西宮市出身のボクは当時、家族が明石市と尼崎市にいて、自身は東京の勤め。
    早朝のニュースで大きな地震とは信じられず、その後のニュースで驚くばかりでした。
    学生時代の知人に大勢の被災者がいました。いろんなひとから死傷した方々のいる地獄のような光景でショックを受けた話を聞きました。東京では新年会で熱い鍋を囲んでいるのに被災地では極寒の中で飲食に困っている状況が数百キロしか離れていない日本で当然のようにある事実にショックを受けて…ひどい文章で申し訳ないです。いろんなことを思い出します。連日流れる火災の様子、バイクで走っていた阪神高速の倒れた様子。なんだかわかんないコメント残してすみません、今日も生きていることに感謝して過ごします。

  2. あれから17年経ちましたね。
    私は兵庫県宝塚市で被災しました。家族は怪我程度で済みましたが家は全壊、家の裏にあるアパートも全壊し、生存確認もままなら無い状況の中どうすることも出来ず… 一人暮らしで棋士を目指していた青年が還らぬ人となってしまいました。。。
    その後、半年の避難所生活を経て仮設住宅への入居(両親に妹と弟を考えると私に居場所は無いと一人暮らしを始め)、その後2年かかってようやく公団に当選し入居することが出来てホッとしたことを覚えています。(直後、私は東京へ転勤)
    震災で人生は大きく変わってしまいましたが「生きてるだけで丸儲け」と開き直って来たつもりです。
    しかしこの時期になるとどうしても陰鬱な気持ちになるんですよね。。。
    東日本大震災ではありありと当時の記憶が蘇りました。悪いことは続くものでその直後に父が他界。昨年は茫然自失の1年となってしまいました。
    しかし、その中において救いとなったのが earthquake_jp です。
    何かあれば twitter で earthquake_jp から情報を得ることが出来ると言うのは凄く助けになりました。余震の度に欠かさずチェックし、周囲にも伝え進める日々となっています。
    情報は力であり、希望をもたらすものだと感じました。earthquake_jp には本当に助けられた思いがしますし、精神的なストレスも和らげられています。
    日本に住む以上、震災は無くならないですが叡智で緩和することは出来ると信じています。
    今回 earthquake_jp が出来た経緯を読ませていただき一言、感謝の言葉を伝えたくて書かせていただきました。
    earthquake_jp を作ってくださって本当にありがとうございます!
    まさか個人で運営されているとは思いもしませんでした。
    ですので無理ない程度にこれからも続けていただけると嬉しいです。

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